日本人教師皆殺し計画。

 塾って役に立つんだろうか?
 私は役に立たないと思う。だけど、それが存在しているということはなにかしら役に立つのだろう。
 集団授業の場合、先生が授業をするというスタイルは公立学校と変わらない。個別指導にしても、放課後に学校の先生に聞きにいけば同じことをしてくれるだろう。
 では、塾は公立学校と何で差をつけているのだろう。
 実は、講師の質はそれほど変わらないか公立学校の方が高いのかもしれない。塾の先生なんて、どこでも大学生の仕事である。
 すると、講師の質以外の部分が、影響してくるのだろうか。たとえば、声を大きさとか元気さとかね。そんなわけで、最近はいい参考書も増えてきたことだし塾に見切りをつけた生徒も増えてきている。
 一方で、学校は先生が「生徒は一度聞けば分かる」という前提で授業をしているものだから、わからないところがわからないという現象が生まれる上に、どうにも聞きにもいきづらいと言う問題もあるのかもしれない。
 ただ、これは公教育の充実で解消すべき問題だ。塾というのは、あくまでもその過渡期に生まれた一時的なまやかしにすぎないような気もする。
 このことは実は、あるべき塾の姿を提起している。

  1. わからない部分が判明し、
  2. さらにその部分ができるようになり
  3. なおかつ定着を何度もチェックされるから忘れない

 この三点が公立学校と差別化するために最低限必要だ。

 その上で、時代は塾に何を要請しているのだろう。
 かつて学校は「最先端」だった。かつてというのは、最先端が共通していた時代だ。たとえば、ピアノを置く、たとえば、パソコンを置く。そんなことが最先端だった時代だ。
 だが今は違う。保護者はもっと別のことを要求してくる。それはインド人みたいに二桁のかけ算ができる子供をつくることかもしれないし、中国語のネイティブかもしれない。いずれにせよ、グローバル社会が多様であるように、求められる子供像も多様になる。
 だからこそ、分散型の動画配信システムで様々なニーズにあわせた映像配信コンテンツが流されて、いろいろな国の名門学生がスカイプで個別指導をやってくれるような教育というのは、今後の主流になると考えている。
 そういえば、私は最近はDUOという単語帳の暗唱にはまっている、これが終わったら、速読英単語やリンガメタリカ、アカデミックも暗唱する予定だし、経済学の文献も基本的にすべて英語で読もうと思っている。さすがに大学数学は日本語でやるが、これもそのうち英語で読めるようにはしたい。
 なぜ、ここまで英語にこだわっているかというと、英語で勉強するとものすごく安上がりだからだ。教育コンテンツも小学生向けから大学生向けまで、予備校並みの物が無料でそろっている。カーンアカデミーもコスモラーニングもそうだ。そして、それらがカバーする領域はきわめて多様だ。さらにフィリピン人の美人な名門大学生と専門科目の議論も、日本人より白熱して出来る。日本の大学のゼミの議論は本当にひどいから、こういうのが出来れば、私としてはもっと勉強になると思う。
 だから、これから通貨が高い日本人がやる塾の役割なんていうのは、導入期の英語教育ぐらいに限られてくると思う。外人に教育をやらせたほうが遥かに安上がりに済むからだ。
 教育の個別指導化はすべての教育者にとって理想だ。そもそも、少人数学級とかの議論もこのへんから来てるんだろう。ただ、それはいかんせんコストが高すぎた。でも、これからの時代は、少なくとも日本の通貨が高いうちには、個別指導教育をすべての子供に受けさせることだって可能だろう。時間は少ない。自分はこの恩恵にあずかるために、とりあえず英語を必死でやっておこうと思う。 
 あと、うちの塾では、すべて英語で授業をすることもできるようにした。ネイティブの日本人講師を雇って、帰国子女の指導とかをやってもらっている。これもなかなかに好評だ。
 日本人の教師の反発は強いかもしれないけれど、かならずこうなる。自治体だってこのままではどうしようもない。まず新卒採用がなくなって、次に非正規の先生のクビが切られ、最後に退職年齢が早くなって、それでとうとう日本からは教師という職が消えるだろう。